結婚指輪のちょっと残念な話
結婚指輪は「永遠の愛の証」もしくは「永遠の絆」の象徴と言われています。
結婚式における指輪の交換はもっとも盛り上がるシーンですし、結婚指輪をした瞬間に夫婦になったと実感するカップルもいるのではないでしょうか。
そんなロマンチックな結婚指輪ですが、結婚指輪の歴史をよく調べるとがっかりするシビアなエピソードがけっこうあります。
ここではそんなエピソードをちょっとご紹介します。
※この記事は結婚指輪不要派には喜ばれる内容かもしれませんが、結婚指輪必須派にとっては不快な部分もありますのでご注意ください。
結婚指輪は愛の証ではなく、服従の証!?
最初にがっかりなのは結婚指輪の起源です。結婚指輪の起源は諸説ありますが、どれもロマンチックとは程遠い内容です。
有力な説は3つ。
- ”花嫁”が逃げないようにする縄の代わり
- 特定男性の所有物の印
- 結婚契約における代金の一部
”花嫁”が逃げないようにする縄の代わり
婚姻制度が確立する前の遥か昔は群婚という不特定多数の男女がその日限りの交わりを持つという時代がありました。その当時「愛」という概念があったかは分かりませんが、目的は主に種の保存、生命の維持でした。
この時代、当然両者の合意によるものもあったでしょうが、男性が女性を捕まえてそういった行為に及ぶことも多かったようです。
その際に男性は女性が逃げないように編んだ紐で両手両足を縛ったそうです。そして逃げないようであれば足の紐はほどき手だけ縛ったようです。
この縛るのに使った「紐」が結婚指輪の始まりという説があります。
特定男性の所有物の印
ローマ時代初期の結婚は結構複雑です。この頃は既に結婚制度というものは確立されていたようですが、その多くが武力によって征服した都市や部族の女性を略奪して結婚するというパターンだったようです。ちょっと現代とは言葉の意味が違いますが、いわゆる「略奪婚」が普通だったと言われています。
この略奪した女性に鉄の輪をはめたことが結婚指輪の始まりという説があります。
この鉄の輪は指輪だけでなく、腕輪や首輪のこともあったようです。この鉄の輪自体には金銭的な価値は無く、単に略奪された女性が既に特定男性の妻になっていることの印だったと言われます。
それはこの「鉄の輪」の背景と関係があります。
この「鉄の輪」はギリシャ神話に出てくる「プロメテウスの火」という話しに由来していると言われます。
プロメテウスとはギリシャ神話に出てくる神の名前で、全知全能の神ゼウスに頼まれて「人間」を作ります。自分で作らせたくせにゼウスは何かとこの「人間」を嫌い滅ぼそうとします。
しかし、プロメテウスは人間びいきで、ちょくちょくゼウスに歯向かい怒りを買います。
そして遂にゼウスの怒りが頂点に達する出来事が起きます。プロメテウスは神々のものであった”火”を盗み人間に与えたのです。
さすがに怒ったゼウスはプロメテウスをコーカサス山に鉄の鎖で縛り付け、腹ワタをむき出しにした状態でオオワシに肝臓をついばませるという罰を実行しました。
プロメテウスは神なので不死ですが痛みは感じます。昼間に肝臓をついばまれても夜には再生して、次の日の昼にまた肝臓をついばまれるということが毎日繰り返されるという壮絶な拷問にあったわけです。
しかしプロメテウスはゼウスの弱みを知っていたことや、ゼウスの子であるヘラクレスの頼みもあってこの拷問から開放されます。
その際、ゼウスは今後自分に歯向かわないようにプロメテウスに絶対服従の誓いを立てさせます。この誓いの証としてコーカサス山に縛り付けていた鉄の鎖から指輪を作りプロメテウスにはめさせたのです。
少し脱線しましたが、「鉄の輪」とはこのプロメテウスにはめた鉄の鎖からつくった指輪から来ていると言われます。
つまり「鉄の輪」をはめるということはプロメテウスがゼウスにしたように妻が夫に対する服従と忠誠を誓った証だったのです。
結婚契約における代金の一部
古代ギリシャや古代ローマでは恋愛結婚は一般的でなく、多くの場合結婚は親によって決められていました。それも金銭の授与を伴う「売買婚」がメインでした。
この売買婚の契約が決まった時に支払われる代金の一部と契約成立の物的証拠として花婿の家から花嫁の家に指輪が送られる風習がありました。
これが結婚指輪の起源とされる説があります。
この説の内容を考えると結婚指輪というより婚約指輪の要素が強いですが、婚約指輪の明確な概念がでてきたのはもっと後のことですので、結婚指輪の起源を考える場合は結婚時のおける指輪という観点で語られるようです。
この三番目の説が一番有力とされていますが、いずれの説にも共通するのが結婚指輪は妻の夫に対する「服従や所有物の証」であり、一種隷属的な意味合いで使われていました。
結婚指輪は現在で言われる「愛の証」とはむしろ正反対の意味合いから始まったという残念な史実があるのです。
結婚指輪を左手の薬指にする理由がガッカリ
結婚指輪は左手の薬指にはめます。これは慣習的なものが大きいですが、よく理由として挙げられるのが「左手の薬指は心臓と直結しており、心臓は感情の中心と考えられていたため、愛の血管がある場所として左手の薬指にはめる」というロマンチックなものです。
しかし、結婚指輪を左手の薬指にする理由として別の解釈があります。
別の解釈では左手の薬指が心臓と直結しているという部分は同じですが、そこからが違います。
そもそも指輪には「封印」や「誓いの証」といった意味合いがありました。つまり心臓と繋がっている左手の薬指を封印することは「心臓を封印」=「服従の印」という解釈がなされるわけです。
ここでもやはり「服従」が登場します。
当時の結婚指輪は女性だけのものでしたから「夫が妻の心臓を封印する」=「妻の夫に対する服従」という意味があったのです。
つくづく服従好きな男も情けないですが、当時の女性はここまで服従させなければいけないほどお転婆だったのでしょうか。
まったく、、、愛の無いガッカリな話しです。
キリスト教は結婚指輪に反対だった?
結婚指輪はキリスト教の習慣と思っている方は多いのではないでしょうか?
結婚指輪がしっくり来るのはやはり教会での結婚式です。そこでは神の前で永遠の愛を誓って指輪を交換するわけですから、当然結婚指輪という習慣はキリスト教の儀式の一環と考えるのが普通でしょう。
しかし、キリスト教では9世紀頃まで結婚指輪に関与しないどころか反対していたのです。
既述したように結婚指輪の起源にはギリシャ神話や売買婚などが関わっています。
キリスト教としては異教徒の習慣や平等とは程遠い背景を持つ儀式を認めるわけにはいかなかったのです。
しかし、教会が反対しても民衆がこの結婚指輪という制度をやめなかったことから、なんとキリスト教がそっちに迎合して結婚指輪を「神の契約の印」と位置づけたのでした。。なんと打算的な宗教。。。
そもそもキリスト教は「夫婦間における永遠の愛」を認めていません。
キリスト教のおける結婚の誓約文の前提には「二人が死を分かつまで・・・」とあります。つまり、死んだら結婚の誓いは破棄されるわけであって「永遠」ではないのです。。
このように結婚指輪の意味合いを厳密に探るとキリスト教の教えから逸脱することが結構あるのですが、キリスト教はその辺はうまく取込み、それが民衆にウケて結婚指輪の制度は今日まで広まってきたのです。
結婚指輪を交換する習慣が広まったのはつい最近のこと?
結婚指輪は新郎新婦がお互いに交換することで、お互いの愛や絆を誓い合う儀式です。
しかし、結婚指輪はつい最近まで女性だけがするものだったのです。まぁ、結婚指輪に「服従」という意味合いがあると考えると納得ではあります。
新郎が結婚指輪をするようになったのはつい最近のことで、20世紀に入ってからと言われます。
キッカケは第二次世界大戦で、戦地に赴く夫のモノを何か身に着けていたいと妻が願ったことが始まりとされています。
同時に戦地で生死を彷徨う時に愛する妻のモノを何か身に着けていたいと夫が願ったことで、「お互いの指輪を交換する」という儀式に発展したと言われています。
この話し自体はロマンチックですが、そのキッカケが戦争であったと言うのは皮肉な話しです。
このように結婚指輪にまつわるロマンチックな背景や歴史、意味合いなどは多くのモノが後付けであることが分かります。
これらのエピソードを読むと結婚指輪が持つ背景には意外に残酷なものが多くあり、結婚指輪に対して幻滅する方もいるかもしれません。
ただ、もっと深く考えてみてください。
このように残酷な背景を持つ結婚指輪の習慣が意味や形式を変えながら何千年も続き、また世界中に広まっていることは不思議なことです。
確かに「永遠の愛」やら「永遠の絆」と言った意味合いは後付けの部分が大きいかもしれません。しかし、その後付けをしてきたのが民衆であるということ考えると、現在の結婚指輪の意味を築いてきたのは過去の夫婦による「愛」なのではないかと考えられます。
そう考えると、結婚指輪の持つ愛のパワーは凄まじいものがあると思えます。
現在、結婚指輪に対して「負のイメージ」がないのは実際に結婚指輪が”良いもの”であるからに他なりません。
これから結婚を考える方は過去の背景など気にせず、現在まで続いてきた結婚指輪のパワーにあやかってみてはいかがでしょうか!

【結婚指輪の相場】もあわせてご覧ください。
関連記事
-
-
結婚指輪にダイヤモンドを入れてはダメか?
女性なら結婚指輪を買う時、どんなデザインにするか迷いますよね! 結婚指輪は一生はめるも
- PREV
- 結婚指輪の意味
- NEXT
- 世界における結婚指輪の歴史